あけましておめでとうございます。
久々の更新になってしまいました。研究室の業績をまとめないと…なんて思いながら、今日に至っています。いつか、きっと。
さて、新年の所信表明は目先の研究したい内容を見ると設定する余裕もなく、ただ粛々と進めていけば相応の成果が得られるだろうと思っています。そんな状況の中、突如、気が向いたので超久々に雑記を書きたくなりました。なので、書きます。
気が向いたきっかけは今朝の通勤の車中。年末年始の休暇でスマホにダウンロードしたJ-POPを整理したので、聴いているとsppenaという歌手のジレンマという曲を聴いた時。中学~高校時代の記憶が蘇ってきた訳です。
2000年になる少し前、当時の私の楽しみは自宅の最寄駅だった西明石から1つ西隣の大久保駅まで行き、そこから徒歩5分ほどの漫画喫茶に行くこと。まだ大手チェーンもなく、ネカフェという概念もほとんど無い時代で、1000円 (だったはず) でフリードリンク&時間無制限、漫画読み放題と夢のような空間と、母親の説明を最初に聞いた時は思いました。
初めて行った漫画喫茶。目に飛び込んだのは、隅に1台ぽつんと置かれたデスクトップPC。当時はWindows98とかの時代で、パソコンがある家も限られていました。携帯電話 (今で言うガラケー) が普及を始めようとする頃。ドコモがmovaを発表 (今の言い方でいうとFOMAが3Gとすると、恐らく2G?) して、auはセルラーフォンでソフトバンクはボーダフォンだったし、かろうじて家の固定電話番号が借金の担保として価値があった頃。私にとって漫画喫茶はPCを触りに行く場所で、誰かが使っているときしか漫画は読まなかった。不憫に思ってくれたのか、マスターがPCを一気に追加で3台増設してくれるまでに時間は掛かりませんでした。
漫画喫茶でPCを触る。分解なんてするはずもなく、当時、YoutubeもなければSNSもない時代。専ら、将棋倶楽部24というサイトでネット将棋での対人対戦に明け暮れていました。前置きが長くなりましたが、ネット将棋に明け暮れていた頃、漫画喫茶の有線放送でBGMとして頻繁に流れていたのがspeenaのジレンマでした。
将棋は小学4年生、学校のクラブ活動で将棋部に入ったので始めました。ドッジボールをしたくて球技部に入ろうとしたものの、じゃんけんで負けた結果です。そこで、私の趣味は将棋だと、今となっては将棋・チェスなどボードゲーム全般だと表立って言えるようになるスタート地点に立ちました。
少し話は逸れますが、私自身、かなり自己分析する方だと思います。今までいろいろとホビーやゲームにハマりました。内容を分析すると、長続きして趣味だと言えるものは、わかりやすく3つの共通点がありました。
1つ目は「お金がかからないこと」根っからのケチだからです。楽しめた主観的な総量と集中できた時間、これを必要経費で割ってコスパ換算して高いものしか続いてません。2つ目は「リアルで誰かと楽しめること」寂しがりなんです。何かを極めたとしても、コンプしたとしても、誰かと共有できないと辛い。最後に3つ目は「1人で気軽にできること」2つ目の内容と自己矛盾していますが、最も重要です。趣味はしたい時にする。義務になって、ストレスを感じるのは趣味ではないので、大前提ですよね。
話を将棋に戻して、2つ目のリアルで誰かと楽しむこと、ネット将棋はブラウン管ディスプレイであるものの、ゲームソフトには無い人間らしい手、今でいうと人間らしい曖昧さが溢れていました。
タイトルにあるプログラミングに話は移ります。漫画喫茶のPCでネット将棋に出会った時、感動はしませんでした。やっと来た!という感覚だったことを覚えています。当時、リアルに将棋を指す、しかも初段になるかならないかの自分と同等の棋力の人と対戦することは難しかった。家が大阪の福島、なぜ関西将棋会館の隣にないのだと理不尽に文句を頭で反芻していました。
そこで、この問題をどうしたか?自分でコミュニティを作りました。どうやって作ったか?当時の携帯電話で自分のホームページを作りました。当時、自作ホームページを作るメッカだった、魔法のiらんどで。その後、確か自作小説のサイトとしてもう一盛り上がりしたんだっけ。
ホームページを作るためにはHTMLの知識が必要でした。これがプログラミングとの出会い。ただ、すごく簡単に感じました。< >の括弧で括られたタグというコードでサンドイッチしてあげるだけ。後ろのタグには、追加でスラッシュを入れてあげる。これで、文字は中央に配置され、文字のサイズは変更されて、色まで変わった。…点滅やスクロールは、、、うざい。
作ったホームページでは、来訪者と掲示板で1手ずつ棋譜を書くことで対局する公開掲示板対局や、メールのタイトルか本文に1手ずつ棋譜を書いて送り合うメール対局で楽しんでいました。同時に日記機能もあって、こうやって中学の頃からインターネット上にダラダラと文章を書くことも好きなんだなと自認しました。
HTMLで感覚を掴むと、他に機能を追加したいと考えるようになります。以降、CSSでホームページデザインを一括操作するようになり、cgiとperlでメールフォームを作るようになり。一方で、どこまで行ってもプログラミングは、自分が実現したいことを具現化するツールのままで、具現化出来てしまえば、そして説明責任がなければプログラムの詳細までは見ないズボラ精神が養われたり。
話は逸れますが、そんな経験があるので昨年末にひろゆき氏が実施していた児童養護施設へのPC寄付プロジェクトのクラウドファンディングに、生まれて初めて見返りを求めることもなく、1万円も寄付しました。個人の好き嫌いとか、寄附行為の是非といった議論は度外視で、家庭環境関係なく子どもたちが単純にPCで遊べること、そこから広がる可能性に共感したからです。
漫画喫茶のネット将棋で、やっと来た!という感覚。画面越しでも人間らしい対局ができる!ではありません。持ち時間管理ができる!という感動。昼から始めたメール対局、夕方になっても終わらず、「また勝大がノートになにか (棋譜のこと) を書きながら、全く動かさない将棋盤とにらめっこし続けて。もう4時間もこの調子なのよ。」と放任主義の母は別にそんなタイプではありませんが、容易にデフォルメできるようなエピソードとなる生活から脱却したのです。
将棋のプロがコンピュータAIに負けるというニュースが生まれたのはつい最近、ここ数年前です。AIといえども、元を辿ればプログラムです。AIはこの数年間で、「プロを超えることはできるのか?」から「AIで研究した戦型をプロが指す」という過程を経て「プロはAIが提示する最善手がさせるのか?」と大富豪の革命なみに価値観を一変させました。
私の高校時代は右を見ても左を見ても横歩取り85飛戦法、時々出てくる振り飛車は藤井システムvsミレニアム、ゴキゲン中飛車が出てきたかと思えば丸山ワクチン。大駒が飛び交って訳が分からないまま優劣がつく空中戦が多すぎて、辟易して、将棋に疲れていました。
将棋から少し離れた数年間、突如として藤井聡太っていう中学生棋士が誕生して、デビュー連勝記録が凄い!というニュースが出てくる。久しぶりに棋譜を見てみる。…雁木?相振り飛車?角換わりは48金・29飛型?横歩取りは青野流?ゴキゲン中飛車対策の超速?たった数年だったはずですが、AIのおかげで将棋版・浦島太郎が生まれました。
この浦島太郎の経験、私の研究でも大いに起こってます。Pythonのおかげで機械学習やデータ処理・解析が容易になり (しかも無料!)、学生時代では考えられないスピード感が出るようになりました。本当に楽になった。
怒られるかもしれませんが、ある程度の下知識がある内容であれば英語論文を読むときも、違和感がある箇所やキーになる部分だけは真剣に英語原文で読みますが、AIベースのDeepL翻訳にかけて読みます。英語の勉強にはなりませんが、実務上、ものすごい時短です。
文章を書き始めて1時間。そろそろ、まとめましょうか。何が言いたいのか。
ここに書いた話は、長くても20年ほどの間に起こった出来事です。大学生の方は、生まれてから今に至るまでに、現実に起こっていることです。約10年前、今となってはスマホのスタンダードになるiPhoneが上陸しました。当時、auだった私はIS03という初期のスマホを購入するも、ポンコツすぎてアプリアップデート中に電池切れになり、自動的に充電開始&再起動するも即アップデート開始で再度の電池切れという、無限再起編を鑑賞していました。
しかし、その2年後には、マックスむらい氏がYoutubeのパズドラ実況で一世風靡して、YoutubeがGoogleに買収され、Youtuberという職業が確立して、ここ数年はVtuberにライバーにTik tokerです。
時代は読めません。読めたら私は時代の寵児となって大金持ちになって、電気自動車を作りながらTwitterを買収しつつ、白い斑点のついたボディースーツを作って宇宙旅行のついでにお金配りおじさんになれたかもしれません。
言いたいことは、その時代を作っているのは、昔からずっと言われているプログラミングであり、電気電子工学であり、数学であり、半導体工学であり…ってことです。何も急に新しい技術や新学問が生まれたわけではありません。
私の研究だって、成熟した技術の組合せがベースであって、論文にはなっているが教科書にはなっていないラインの学術を駆使している状況です。良い意味で身の丈を知った上で、飛躍する卯年にしたいですね。
4年生が年明け早々の国家試験統一模試の第2回を受験している睦月に。